推しを巡る冒険

世界が存在するから認識できるのか。認識できるから世界が存在できるのか。

【書評】ナナメの夕暮れ/若林 正恭著:生きづらさの構造

 将来は書斎がある家に住んで、本に囲まれて過ごすと

 

「裏・将来の夢」を掲げていた僕からすると、

kindleを購入したのは過去の自分への裏切り行為だったかもしれない。

 

自分の本棚を見るだけ、お酒が飲めるくらい紙の本が

好きだったが、元来忘れっぽい僕が旅行や出勤なので

「絶対この本を読みたい」と固く決意したところで

忘れてしまうことが多々あった事と何より、kindleの方が本が安いということで

購入を決意してしまった。

 

kindleを購入してから生活は20度位は変わったかもしれない。

しかしながら、何気なく購入した「ナナメの夕暮れ」は

自分の生き方を少し押してくれる本だった。

 

人間だれしも「生きづらさ」というものがあると思うが、

自分の中のそのもやもやの原因の一端が見事に

「他人の正解に自分の言動や行動を置きに行くことを続けると、

自分の正解が段々わからなくなる」という言葉で表現されていた。

 

結局のところ「誰の幸福・快楽」のために生きているのだろうかと

考えさせらる。

 

特に若林氏が飲み会を嫌いな理由として挙げている

「誰の正解を言えば良いかわからない」に関しては共感するばかりだ。

 

とりもなおさず、生きていく上での幸福の主語が自分であると

人間思いたいのではあるが、価値観が多様化した現代

(昔なら大名、会社、国家が寄りどころ)

においては、正解が分からずに、誰かの正しそうな

身近な、アクセスしやすい人の意見を自分と重ねる方が楽なのかもしれない。

 

しかしながら、その生き方は袋小路になっている気がしてならない。

自分の抑圧された希望や意思はどこに行くのだろう。

 

改めて、自分の仕事に重ねてみると「他人の感情」に左右されている面が

多いと気づく

「こういったら、怒るだろうな」「今言うと、面子をつぶしちゃうな」etc..

 

しかしながら、思い返すと。一度も相手に本当にその言葉言ったら、

感情を害するかを確認していない自分がいる。

結局のところ、上記の思いは仮想の相手であって現実の相手ではない。

ここでハッと気づく、勝手に慮っていたのは自分だけであることを。

 

勝手に上手い生き方と自分に納得させていたが、

もっと現実世界で相手と戦った方が良いと思った。

若林氏が「自分の正直な意見は、使う当ての無いコンドームの様に財布にそっと忍ばせておけばいい。それは、いつかここぞという時に、行動を大胆にしてくれる。」と

言った様に。

 

作品中で斜に見ていたゴルフを始めた若林氏が思い切ってゴルフを

始めた話がある。

 

僕も先入観や人の感情を気にせずに自分の否定していたことを

やってみたいと思った。

 

まずは慣れないkindleで新しい世界を見てみたくなった。