推しを巡る冒険

世界が存在するから認識できるのか。認識できるから世界が存在できるのか。

【映画評】ラストレター/岩井俊二 失くしたものを取り戻すことはできないけど、 忘れてたものなら思い出せる

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村上春樹が「人の死」に対してこう述べている

「親しい方を(中略)亡くされると、自分という存在から何かが急激にもぎ取られてしまったような気がします。なかなかそれを受け入れることができません。気持ちの中に空洞ができてしまいます。(中略)もしあなたの中に空洞があるのなら、その空洞をできるだけそのままに保存しておくというのも、大事なことではないかと思います。無理にその空洞を埋める必要はないのではないかと。これからあなたがご自分の人生を生きて、いろんなことを体験し、素敵な音楽を聴いたり、優れた本を読んでいるうちに、その空洞は自然に、少しずつ違うかたちをとっていくことになるかと思います。人が生きていくというのはそういうことなのだろうと、僕は考えているのですが。」(『村上さんのところ新潮文庫P105)

 

この映画は様々な登場人物が空洞を埋めるために手紙を送りあう物語である。

 

あらすじに関して簡単に記す。

裕里(松たか子)の姉の未咲が、亡くなった。裕里は葬儀の場で、未咲の面影を残す娘の鮎美(広瀬すず)から、未咲宛ての同窓会の案内と、未咲が鮎美に残した手紙の存在を告げられる。未咲の死を知らせるために行った同窓会で、学校のヒロインだった姉と勘違いされてしまう裕里。そしてその場で、初恋の相手・鏡史郎(福山雅治)と再会することに。
勘違いから始まった、裕里と鏡史郎の不思議な文通。裕里は、未咲のふりをして、手紙を書き続ける。その内のひとつの手紙が鮎美に届いてしまったことで、鮎美は鏡史郎(回想・神木隆之介)と未咲(回想・広瀬すず)、そして裕里(回想・森七菜)の学生時代の淡い初恋の思い出を辿りだす。
ひょんなことから彼らを繋いだ手紙は、未咲の死の真相、そして過去と現在、心に蓋をしてきたそれぞれの初恋の想いを、時を超えて動かしていく―――

という。文字だけでみると過去を引きづっている話にもみえる。

しかしながら、そこを超越した再生の物語がスクリーンにはあった。

----------ここからネタバレ-------------

  1. 誤送から物語は始まる

フランスの哲学者ジャック・デリタはメッセージはそれを受け取ってもらいたい相手ではなく、間違った宛先に送られてこそ意味を持つという逆説的なことを言っている。

「間違った宛先」に送られた方が事件が起きやすいからであろう。

 

今作も亡くなった「美咲(広瀬すず)」への同窓会への招待状を妹の「裕里(松たか子・森七菜」が受け取り

同窓会から参加する所から物語が始まる。

そして、今作において正しい宛先に届いてる手紙は鏡史郎(福山雅治)に

送っている手紙と裕理の義理の母が恩師に送る手紙だけである。

言い換えると鏡史郎の送っている手紙は「誤配」されているのである。

しかもその相手は、「美咲」と血を分け合った女性である。

 

この誤配された状況を解きほぐし、正しい宛先に鏡史郎の手紙を

送ることが物語の根幹である。

 

1-2  22年間見つからなかった場所

小説『美咲』を書いた鏡史郎はその後、小説を書けずにいた。

彼の人生をほとんどを占めていた「美咲」が他の醜悪な男に

とられてしまっていたのだ(豊川悦司の役が、悪のメタファーで秀逸)

 

「美咲」失った彼にとってこの世界は恐ろしく何もなく、

のっぺりした、灰色の世界だっただろう。

救われない世界で彼は生きていた。

 

その渦中で同窓会で、美咲(裕里)を見つけた時の

嬉しさは計り知れなかったであろう。

そして、鏡史郎はそれが偽りの人物であることを見抜いてしまった。

似てるとはいえ、自分の名前がついた小説を忘れるはずない。

 

しかしながら、美咲と繋がる妹と出会ってしまい、

物語が動き出す。

 

2 名前をめぐる冒険

哲学者のヴィトゲンシュタインは「世界は言語である」と

言語論的展開を主張した。

言葉がものを有らしめるとも言い換えられる。

つまり、言語で認識できないものは存在しないのである。

 

前述した通り、鏡史郎は「美咲」を世に出した後には

これといった作品をかけておらず、世間一般には存在していないのと同義である。

 

悪のメタファーである美咲の元夫の阿藤との再会時「お前は美咲に何も影響を

与えていない」(しかしながら、俺は鮎美という娘もできて、自殺させた責任もあると言いたげである)と言われその存在を否定されてしまう。

 

しかしながら、阿藤の現在の同棲相手の女性から「美咲」へのサインを

求められる。 存在を否定された男の女からの「名前」を求めらる行為は

悲しげだが、この世界に存在を許されたとも感じる。

 

そして、奇しくも、取り壊し前の最後の思い出の母校を訪ねた時に

颯香と鮎美に出会うのだ。その光景は鏡史郎を一瞬で18歳に戻してしまった。

 

そして、二人が美咲を名乗って手紙を送っていたことを明かした事で、

手紙が正しい宛先に届いたのだ。

 

荼毘に付された美咲に線香を上げる鏡史郎を見ながら

颯香と鮎美が「美咲」にサインを求める。

ここで、固有名詞である「乙坂鏡史郎」の存在が彼の世界にも認められた。

 

最後に裕里の元を訪ねる。

鏡史郎の世界で欠けている部分の最後のピースである。

ここで裕里の本に名前を記すことで、鏡史郎の存在が世界に復活した。

 

つまり、今作は鏡史郎は美咲の影を追い求めながら、

自分の存在を取り戻していく物語である。

 

結局のところ、その存在を一番見せたい人物は他界している。

 

しかしながら、復活した鏡史郎はこれから「美咲」以上の作品を

鮮やかにまた描くであろう。

 

失くしていたものを取り戻し、止まっていた時計を動かし、

より美しい言葉でこの世界を語りだすであろう。