推しを巡る冒険

世界が存在するから認識できるのか。認識できるから世界が存在できるのか。

備忘録「村上春樹 映画の旅」@早稲田大学演劇博物館 20230118

推しの全てを知りたいと思うのは、僕のオタクにとっての信条である。

 

ということで、先日、仕事を早めに切り上げて、

早稲田大学で開かれてる「村上春樹 映画の旅」に閉幕3日前に滑り込みで

観覧に向かった。

 

村上春樹ライブラリーの隣にある「早稲田大学演劇博物館」はまるで、

大正時代にタイムスリップしたような素敵な空間だった。

 

展示の内容で心に残ってる作品を少し紹介したい。

特に村上春樹作品に登場する映画の内容は圧巻であった。

 

羊をめぐる冒険

文庫本 下 P207 「ダック・スープ」のグルーチョ・マルクスとハーポ・マルクスのように」

 

「吾輩はカモである」(原題:Duck Soup)

・鏡のギャグ

そこに鏡があるかのように登場人物の一人が鏡に映った人物のフリをするというギャグシーン?が作品展で上映されており、これは羊をめぐる冒険においても終盤の重要な場面で鏡が登場する。

 

『雑文集』においても

村上春樹「この映画の見せ場はなんといっても鏡の場で、このグルーチョとハーポの演技は何度見ても鬼気迫るものがある。映画とは関係ないけど、僕も『羊をめぐる冒険』という小説の中にこれからヒントを得て鏡の場面を入れた」

村上春樹氏が語っている

 

 

『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』

文庫本 下 P388 「私は彼女が公園の中のまっすぐな道を歩き去っていくうしろ姿を

『第三の男』のジョセフ・コットンみたいにじっと見ていた。」

「第三の男」(原題: The Third Man

 

・ラストシーン

落ち葉が舞い散る墓地の並木道。友を裏切る事でピンチを救おうとした愛する女性を待つ男。並木道の彼方から歩いてくるその女性は自分を助けるとはいへ恋人への裏切りを許すことは出来ない。そして男の前を無言で一瞥することも無く歩き去る女性のシーンでで終わる

⇒主人公と司書の女の子が二度交わらないことを暗示しているとも捉えられる

 シーンで映画を改めて見返しても小説と映画のイメージがぴったり重り、大変印象に残った

 

ノルウェイの森

文庫本 上 P286 「まるで『サウンドオブ・ミュージック』のシーンみたいですね

サウンドオブミュージック」(原題The Sound of Music

ナチスドイツ

サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となるのは、ナチス・ドイツに併合される直前のオーストリアザルツブルグで、オーストリアにいるナチス党員の姿が描かれる。

 

ノルウェイの森語られるドイツ的な要素(冒頭で主人公がドイツに行く、永沢さんの赴任先、主人公と緑の出会いがドイツ語の講義)との関連性が伺われる。

 

ねじまき鳥クロニクル

哀愁」(あいしゅう、原題:Waterloo Bridge

・ラストシーン

本書では作品の名前そのものは出てこない。クミコは「僕」の言葉から次のように連想する。「私は、汚れた身体を隠してそっとあなたのもとを去っていった。霧のウォータールー・ブリッジ、蛍の光ロバート・テイラーヴィヴィアン・リー……」

と最後にこの映画の登場人物を出すことで映画を示している

 

とここまで、紹介したが余りにも多いので紹介は本と別の方にお任せしたい。

 

この企画展に参加して改めて、何かを好きになること、誰かを推すことの

「素晴らしさ」と「絶望」を感じることとなった。

 

僕は昔から何かのジャンルの特定のものを好きになることがとても多かった。

プロ野球中日ドラゴンズ

*アーティスト:aiko

*アイドル:乃木坂46 橋本奈々未 etc.

これらは、自分の生活スタイルを一変させたり、関連する商品を全て収集したり、

聖地巡礼と称して、旭川まで行くこともあった。

その中で言葉にできない、幸福感を感じていた。

 

とはいうものの、やはり全てを知ることはこの有限の時間と無限の情報量の中では

不可能であるといえる。

このことを考えるといつも世界の終りの様な絶望感を感じる。

例えば、アイドルとの握手会において1回で喋れる時間は10秒程度である。

それを同じCDを何枚買って、何十回、何百回とループしても知れる情報量は

たかがしれている。無限に知りたいのであれば、無限の時間と資本が必要だ。

そして、たとえ無限の時間と資本が必要でも一人の人間ですら(自分ですら)

100%を知ることができない事の事実が大きく人生に横たわっている気がする。

 

今回の映画展でも同様の感覚に襲われた。

これまでも、村上春樹のほとんどの作品を読み、周辺の解説本などに目を通して

「ある程度分かったつもり」でいた自分に改めて絶望した。

一冊の本を「映画」という切り口から見るだけでも多くの知識と考察が必要であると

知ってしまったからだ。

 

ただ、このある種の絶望は反面今後の人生の楽しみでもある。

やはり、自分の好きなもの興味のあるものに関することは無限にあるのだ。

 

多分、推しのことは今のところ砂漠の砂の一粒くらいしか知らないだろう

しかしながら、砂の一粒の形や歴史がそれぞれ違うように新しい発見をどんどんしていきたい。


多くの村上春樹氏の作品を読み、意味づけをし、共有するこで

自分の幸せを追求していきたいと思うような素晴らしい展示であった。

  1. 村上春樹