推しを巡る冒険

世界が存在するから認識できるのか。認識できるから世界が存在できるのか。

雨だから

昨日の関東地方は8月の台風並みの風と梅雨らしい雨が降っていた。

 

僕は雨が好きだ。

 

雨の日は特別な気持ちを低気圧から運んできてくれる。

それは、匂いやセンチメンタルな感情と共に

「非日常感」を奏でてくれる。

 

昨日ラジオを聞いていたら「雨だから」ってすれば、

なんでも出来るような気がするとアナウンサーが言っていた。

 

「雨だから、ご褒美にケーキを食べる」

「雨だから、どこにも寄らず帰る」

「雨だから、1日どこにも出かけない」

「雨だから、部屋を片付ける」

「雨だから、世界が平和になる」

「雨だから、トランプ大統領も空爆をする」

「雨だから、資本論を読む」

「雨だから、言葉の限界に絶望する」

「雨だから、金星の友達に会いにいく」

「雨だから、気になるあの子にLINEする」

「雨だから、東京タワーに階段で登る」

「雨だから、前髪を切る」

「雨だから、形而上学的な橋本奈々未を創造する」

etc...

雨の日は自分をいつも以上に非現実な世界へ

連れてってくれる気がした。

 

高校の時に片追いして女の子と帰り道相合傘をしたように。