推しを巡る冒険

世界が存在するから認識できるのか。認識できるから世界が存在できるのか。

旭川にいったい何があるというんですか?

1

窓の外に目を向けると初夏の日差しが遠くにそびえる大雪山系の山々を優しく照らしていた。山頂には去りゆく季節を名残惜しむ様にまだ雪が残っていた。

僕はその北海道の美しい風景に見とれていた。

 

飛行機は大きく西へ旋回し、旭川空港に向かって高度を下げ、滑走路に接地すると心地よい

衝撃とともに懐かしい思い出が蘇ってきた。

 


僕は当時23歳で大学を卒業し社会人2年目に突入したばかりで、ある一人の女性のことを好きになっていた。正確には憧れといえるかも知れない。

 

彼女とは月に1回程度しか会うことが出来なかったが、僕にとっては十分過ぎる時間であった。

10年経った今でもその時の風景、匂い、会話、完璧だったその一瞬で永遠の時間を昨日の出来事の様に思い出すことができる。

特に彼女とは好きな作家が一緒だったこともあり、良くその作家について話し合うことが多かった。

 


この世界に完璧なものは無いと言われるが、彼女は僕の中では非の付け所のない完璧な存在であった。

しかしながら、僕と話す時に彼女はいつも僕では無く遠くの何かを見ていた

一度そのことを彼女に聞いてみたことがある。

彼女はショートカットの髪を器用にまとめながら「今の気持ちを伝える言葉が見つかないの。あと10年経てば伝えられるかもしれないけど、その時には意味が無いかもしれないね」と語った。

その彼女の言葉の真意をどうしても確かめたくなって、僕は彼女の生まれた地に行こうと決心した。場所は旭川であった。

僕がなぜそのような行動を起こしたかは今となっても分からないが、

はっきりと言えるの事は「どうしても旭川に行かなければならないのだ」という

思いが僕の心を占拠してしまったということだ。

 


翌週にはチケットを取り、旭川の街をくまなく歩いた。彼女の母校、彼女が通っていた喫茶店、本屋など彼女の影を感じるところは全て訪ねた。

最後旭川空港を発つ時に、少しだけ彼女の言っていたことが分かった気がした。

 


その後さりげなく彼女に旭川に旅行で行ったことを告げたが

村上春樹がいうより、ちゃんとした落とし穴だったでしょ」と彼女は

口を押えながら、微かにほほ笑んだ。

 


それ以来彼女には会っていない。

そうやって僕の20代は風の様に過ぎていった。

 


2

飛行機を降りると微かな初夏の匂いがした。

「やれやれ、また旭川か」とつぶやきそうになったのをぐっと堪えて歩き出した。

一応今回旭川に来た理由は”出張”である。

あくまでも1日目はまじめに仕事をするのだが、わざわざお客様にアポイントを

金曜日にしてもらい、土曜日に10年ぶりの旭川を回る算段である。


初日に順調に仕事を終わらせ、お客様から紹介された居酒屋で「サッポロクラシック」を新鮮なお刺身共に流し込むと全ての時間が止まったような気がした。

明日からの旅路を考えるとこのまま何もせず、朝一の便で東京に帰ったら、

10年前の思い出を壊すことなく、生きていけるとも思った。

余りにも完璧過ぎる思い出であるから、触れたくない自分ともう一度自分の

立っている位置を確かめたい自分がいた。

 


まあそれは明日の朝に考えればよいと2杯目のサッポロクラシック

顔を覆い隠す大きさのほっけを流し込んだ。

 

 

その後には締めにと「梅光軒」のラーメンを食べた。


このラーメンはメンマが特徴である。

そして一口食べると非常にすっきりとした飽きの来ないスープに仕上がっていて、旨味はそこまで強烈に利いているわけではなく、シンプルな醤油スープが表現されているようで、まさにどこか懐かしい…昔ながらの一杯といった味わいである。

 

幸福感を感じながら、ホテルへ帰るとなぜか、高揚感に包まれていた。

明日への期待か、それとも明日が来てほしくないからなのか。

 

ベッドに潜り込み時計を見ると2時20分を指していた。

次の瞬間には夢を見ていた。

 



朝目を覚ますと、心配していた二日酔いは訪れておらず、
爽やか目覚めを迎えた。
昨日の天気予報では降水確率が90%だったが、
テレビでは10%まで下がっていた。
その時「そうだ、再度旭川を巡って彼女の影を見つけるんだと」と確信した。

ちょうど駅前の観光案内所にレンタルサイクルがあると知り、
自転車を借りた。

ここから僕の彼女の影を巡る冒険が始まるのだ。
自転車のカラーは彼女が好きだった緑色だった。幸運過ぎるスタートに
僕の心は湧き上がった。


まず初めの目的地は彼女の通学で利用していた駅だ。
彼女が言うには駅ともいえない、ただのバス停みたいなものよと言っていた。

地図を見ると5㎞くらいであった。初夏の北海道には心地よい距離だ。
旭川市を分断している川に沿って自転車を漕ぐ。
河川敷の道をどんどん自転車のギアを上げ駆け抜けていく。

途中ではほとんど人とすれ違わず、この世界には自分しかいないと錯覚するほどだった。

30分ほどすると駅が見えてきた。
彼女の言うとおり「JR〇旭川駅」という看板が無ければ、それは自転車置き場に見えただろう。
駅内に入るとしんとしており、1~2時間に1本しかない時刻表が最後の時を待つように飾ってあった。
線路を見るとプラットホームと思われるアスファルトの道があり、そこで学生が一人電車を待っていた。
驚くほど殺風景な景色の中で、その学生がいることでなんとかバランスをとって駅が存在していた。

彼女は学生の時もこの線路とアスファルトしかない駅で、電車を待っていたのか。
その時は誰と、どんな気持ちで、どんなこと祈りながら、それは彼女しかしらない。

ただ、僕もここに立って見ると一つのことに気づいた。
それは大雪山に向かって伸びている線路がどこまでも伸びていることだ。
僕は近くの自動販売機で缶コーヒーを買い、駅のベンチに座って次の電車が来るまで待ち続けた。
幸い10分程度で電車が来て、その学生を旭川駅まで送っていった。
電車が去ってしまった後、僕は一人ぼっちとなったが、不思議と孤独感はなく、自分の指がまだ
しっかり動くことを確認して、駅を後にした。


次に僕が向かったのは彼女が旭川を一番綺麗に見れる場所といっていたところだ。
ここからは10㎞程度ある。しかも田んぼの中の一本道だ。
改めて、ハンドルを強く握り、大雪山から降りてくる風に向かって走り出した。
懸命に自転車を漕いで30分ようやく彼女が言っていた植物園に到着した。

隣接してるカフェに入ると彼女がよくご褒美と言って食べていたイチゴのアイスを発見した。
恐らくは、ここのアイスも食べたであろうと思う。
僕も彼女と重ねるようにイチゴのアイスを食べた。
それはとても甘酸っぱい味で彼女と初めて会った夏の日を思い出した。
当時はお互い何を喋って良いか分からずに、はにかみあって、時間が過ぎていた
その時はお互いに人生の方向性が定まっていなかったと思う。
将来への淡い期待と薄い絶望の間をうまく、くぐりぬけていると思っていた。
それが大きな落とし穴であったとは気づかずに。

ふと目線をあげると、彼女が良く冬に身に着けていたニット帽が売られているのが目に入った。
思わず、触れてみると懐かしい暖かさに包まれた。

この植物園には小高い山があり、そこからの景色が彼女のいう絶景らしい。
僕は自転車で疲れた重い足を上げながら、山を登った。

「綺麗な景色を見るには体を動かさないとね」と
彼女は良く口癖のように言っていた。
本当にその通りだと思う。

山を登りきると360度の絶景が僕を待っていた。
南には大雪山がそろそろ雪の化粧を取ろうとしていて、
西には旭川の街並みは、休日の昼間に向けてほんのり賑やかさを増していた。
北には壁のような山脈が連なっており、これ以上人の進出をさせないかのように君臨していた。
東には田植え控えた水田が一面鏡のように青空を写していた。
余りにもこの光景が綺麗すぎて、僕は一歩も動けなかった。
気づいた時には周りから人が消えていた。

この景色を彼女と見れたら、宝物として心の奥底にカギを掛けて閉じ込めておきたい。

下山する際も名残惜しく、いつまでも山頂を眺めていた。


「腹が減っては戦ができない」
時間はすでに13時を回っている。朝から1時間以上自転車で爆走し、山を登っていたため、
流石にお昼ご飯を食べようと思った。

旭川といえば、旭川ラーメン。以前に彼女がよく、学校帰りに行った聞いたラーメン屋に行くとする。

市内に戻り、向かったのが「蜂屋」1947年創業。75年以上の歴史を誇る日本屈指の老舗「ラーメンの蜂屋」
お店に入ると香ばしい香りが漂う。これは絶対に美味しいお店と直感した。

醬油ラーメンを頼む。
一口スープを飲む
焦がしラードの香ばしいコクが独特でクセになる味わいだ
Wスープの風味と相まって、今までにないハーモニーが口いっぱいに広がった。

麺はストレートながら、スープにとても絡みするする入ってくるおいしさ。

しっかりとスープをまとった麺も旨い◎

あっという間にスープまで完食!
これは、旭川の寒い冬にもピッタリであった。


満腹になり街を歩きながら、改めてこの旅路を振り返った。
どれも彼女の影が垣間見えた場所だった。そしてまだ一つ訪れていないところを思い返した。

最後に向かうべきところはただ一つ彼女の母校だ。
彼女が青春の時間を過ごした3年間の影を見に行こう。

実は10年前にも彼女の母校を訪れている。
その時はあまりにも頭が混乱しており、はっきり覚えていない。
ただ、訪問した後は恍惚とした興奮だけが残った。

改めて、訪問すると自分の感情がどうなってしまうのか。
不安が駆け抜けるが、気づいた時には既に河川敷を通り、高校が目の前に迫っていた。

もう覚悟を決めるしかないと、最後の力を振り絞り、自転車のペダルを漕ぐ。

川の堤防まで立ちこぎで、たどり着くとそこにはフェンスで囲まれた校庭と4階建ての校舎が見えた。
「ここが、彼女を作り上げた所だ」と思うとなぜか、涙があふれてきた。
ここで、勉強をし、バスケットボール部のマネージャーもし、恋愛もし、そして東京の大学へと旅立ったのだ。
ここには僕の知らない彼女がいて、僕には一生味わうことができない感情があったのだ。

僕は校門近くまで歩き、目の前の小さな公園のベンチに腰を掛け、日が暮れるまで泣いた。
そんなに泣いたのは、彼女と別れてから初めてのことだった。日が傾くまで、泣いて僕は立ち上がり、自転車を漕いだ。
どこまで行けば、彼女の影に追いつけるのだろうか。
しかしながら、影は追いかければ追いかけるほど、遠く伸びていった。

はっと気づくと僕は旭川空港にいた。どうやって空港まで来たのか覚えていないが、帰るべき場所があるということはこういうことだろう。

 



帰りの飛行機に乗り込むとき、僕は深呼吸をした。
この匂い、温度、心の高まりを一生忘れないように。

機内で温かいコーヒーを飲んでいると、隣の60歳くらいの男性から声を掛けられた。
旭川へは仕事で?」僕はそのようなものだと答えた。
男性は「観光はしました?旭山動物園や博物館など色々ありますからね」と再度僕に尋ねた、
「観光はしましたが、そのようなところには言ってないですね」と口を開くと驚いた顔で「珍しい」と答えたきり、会話は闇の奥に消えていった。

羽田空港に到着した後に僕はもう一度深呼吸をした。

 

 

 

 

 

備忘録「村上春樹 映画の旅」@早稲田大学演劇博物館 20230118

推しの全てを知りたいと思うのは、僕のオタクにとっての信条である。

 

ということで、先日、仕事を早めに切り上げて、

早稲田大学で開かれてる「村上春樹 映画の旅」に閉幕3日前に滑り込みで

観覧に向かった。

 

村上春樹ライブラリーの隣にある「早稲田大学演劇博物館」はまるで、

大正時代にタイムスリップしたような素敵な空間だった。

 

展示の内容で心に残ってる作品を少し紹介したい。

特に村上春樹作品に登場する映画の内容は圧巻であった。

 

羊をめぐる冒険

文庫本 下 P207 「ダック・スープ」のグルーチョ・マルクスとハーポ・マルクスのように」

 

「吾輩はカモである」(原題:Duck Soup)

・鏡のギャグ

そこに鏡があるかのように登場人物の一人が鏡に映った人物のフリをするというギャグシーン?が作品展で上映されており、これは羊をめぐる冒険においても終盤の重要な場面で鏡が登場する。

 

『雑文集』においても

村上春樹「この映画の見せ場はなんといっても鏡の場で、このグルーチョとハーポの演技は何度見ても鬼気迫るものがある。映画とは関係ないけど、僕も『羊をめぐる冒険』という小説の中にこれからヒントを得て鏡の場面を入れた」

村上春樹氏が語っている

 

 

『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』

文庫本 下 P388 「私は彼女が公園の中のまっすぐな道を歩き去っていくうしろ姿を

『第三の男』のジョセフ・コットンみたいにじっと見ていた。」

「第三の男」(原題: The Third Man

 

・ラストシーン

落ち葉が舞い散る墓地の並木道。友を裏切る事でピンチを救おうとした愛する女性を待つ男。並木道の彼方から歩いてくるその女性は自分を助けるとはいへ恋人への裏切りを許すことは出来ない。そして男の前を無言で一瞥することも無く歩き去る女性のシーンでで終わる

⇒主人公と司書の女の子が二度交わらないことを暗示しているとも捉えられる

 シーンで映画を改めて見返しても小説と映画のイメージがぴったり重り、大変印象に残った

 

ノルウェイの森

文庫本 上 P286 「まるで『サウンドオブ・ミュージック』のシーンみたいですね

サウンドオブミュージック」(原題The Sound of Music

ナチスドイツ

サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となるのは、ナチス・ドイツに併合される直前のオーストリアザルツブルグで、オーストリアにいるナチス党員の姿が描かれる。

 

ノルウェイの森語られるドイツ的な要素(冒頭で主人公がドイツに行く、永沢さんの赴任先、主人公と緑の出会いがドイツ語の講義)との関連性が伺われる。

 

ねじまき鳥クロニクル

哀愁」(あいしゅう、原題:Waterloo Bridge

・ラストシーン

本書では作品の名前そのものは出てこない。クミコは「僕」の言葉から次のように連想する。「私は、汚れた身体を隠してそっとあなたのもとを去っていった。霧のウォータールー・ブリッジ、蛍の光ロバート・テイラーヴィヴィアン・リー……」

と最後にこの映画の登場人物を出すことで映画を示している

 

とここまで、紹介したが余りにも多いので紹介は本と別の方にお任せしたい。

 

この企画展に参加して改めて、何かを好きになること、誰かを推すことの

「素晴らしさ」と「絶望」を感じることとなった。

 

僕は昔から何かのジャンルの特定のものを好きになることがとても多かった。

プロ野球中日ドラゴンズ

*アーティスト:aiko

*アイドル:乃木坂46 橋本奈々未 etc.

これらは、自分の生活スタイルを一変させたり、関連する商品を全て収集したり、

聖地巡礼と称して、旭川まで行くこともあった。

その中で言葉にできない、幸福感を感じていた。

 

とはいうものの、やはり全てを知ることはこの有限の時間と無限の情報量の中では

不可能であるといえる。

このことを考えるといつも世界の終りの様な絶望感を感じる。

例えば、アイドルとの握手会において1回で喋れる時間は10秒程度である。

それを同じCDを何枚買って、何十回、何百回とループしても知れる情報量は

たかがしれている。無限に知りたいのであれば、無限の時間と資本が必要だ。

そして、たとえ無限の時間と資本が必要でも一人の人間ですら(自分ですら)

100%を知ることができない事の事実が大きく人生に横たわっている気がする。

 

今回の映画展でも同様の感覚に襲われた。

これまでも、村上春樹のほとんどの作品を読み、周辺の解説本などに目を通して

「ある程度分かったつもり」でいた自分に改めて絶望した。

一冊の本を「映画」という切り口から見るだけでも多くの知識と考察が必要であると

知ってしまったからだ。

 

ただ、このある種の絶望は反面今後の人生の楽しみでもある。

やはり、自分の好きなもの興味のあるものに関することは無限にあるのだ。

 

多分、推しのことは今のところ砂漠の砂の一粒くらいしか知らないだろう

しかしながら、砂の一粒の形や歴史がそれぞれ違うように新しい発見をどんどんしていきたい。


多くの村上春樹氏の作品を読み、意味づけをし、共有するこで

自分の幸せを追求していきたいと思うような素晴らしい展示であった。

  1. 村上春樹

自由意志と「始めること」「続けること」「終えること」

 

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「私がカントのことを100%理解でもしたら、世界が終ってしまうわ。」

大学3年の時に飲み会でたまたま隣になった哲学科の女の子が

2杯目のビールを半分流し込みながら言った。

 

彼女は続けて、「カントによると人間の『自由意志』とは理性によって

どう正しく生きるべきかを決めて、それに従って行動すること。

それに伴う責任も負いながらね。」と語った。

 

僕が「それは刑法の責任論みたいな話?つまり、犯罪を犯さない期待可能性も

あったけど、あえて犯罪を起こした非難可能性があるから、処罰されるってこと」

と習ったばかりの刑法を持ち出したところ、

彼女は「そうかもね」と一言だけ呟いて残りのビールを飲み干した。

 

次の日にbook off で「純粋理性批判」を買って読んだが、15ページで

頭がパンクしそうで諦めた。

見分けが付かない可愛い双子の女の子が隣にいれば読み切ったかもしれない。

 

しかしながら、

僕が彼女の言葉の意味を理解するには10年近くの歳月が必要だった。

 

なぜ、10年近く前の飲み会での出来事を思い出したか。

それは、転職して算定を行っているときに彼女と同じ苗字(関西では普遍的だが、

関東では珍しい)を見かけたからだ。

 

転職する際に考えていたことと彼女の言葉が思わずリンクした。

 

『自由意志』

 

人が物事をするときには3パターンに分かれる

「始めること」「続けること」「終えること」

更にそれぞれに「自由意志で」「決定論的に」の

枕詞をつけることができる。

 

つまり

①「自由意志で始めること(exスポーツを始める」

②「決定論的に始めること(ex学校に入学する」

 

③「自由意志で続けること(ex自分のやりたい事のために資格勉強を続ける」

③「決定論的に続けること(ex入社した会社でクレームを出さないように仕事をする」

 

⑤「自由意志で終えること(ex次のキャリアのため転職する」

⑥「決定論的に終えること(ex大学を卒業する」の

計6種類存在する。

 

自分の人生を振り返った時に気付いたのが、

⑤の「自由意志で終えること」に関してはほとんど経験が無かった。

いつも自分の自由意志とは関係なく、それぞれのフェーズ(ここでいう小学校・中学校・高校・大学)で部活や専攻など自由意志で始めることは大好きであったが、

始めた故に「決定論的に終えること」つまり、先輩の卒業を待ったり、あるいは

自分が卒業するのを予報された雨に雨宿りするように待っていた。

 

転職してまだ3日目だが、改めて新卒で入った会社を「自由意志で終えること」を

選択した自分に驚いている。

 

これまでの自分であったなら、「決定論的に続けること」を消極的に選んでたと思う。

 

しかしながら、この自己の決定論的な世界に抵抗してみたいと思ったのは、

後30年この決定論に従うのは自分に対して無責任と感じたのも多々としてある。

また、社労士として知り合った方が輝いて働いてることも大きいと思う。

 

そして、一番大きいのがやはり、自分は「自由意志で始めること」が好きと言うことだ。

とりあえず、何かを始める。「アイドルと握手をしてみる」「SNSで人に会ってみる」「哲学書を読み漁る」「ダイエットしてみる」「社労士試験を受けてみる」

「可愛い子には連絡先を聞く」ということが好きということを改めて実感した。

 

正直、転職を考えた際は「会社に隕石が落ちて無くならないかな。」など

天文学的な確率を検討してみたが、それを決定論的に願うより自由意志で

自分の正しい・やりたいことを貫きたいという意志が勝った。

 

ここまで、自分勝手な話をしてきたが

①~⑥までで一番、大変なのは③の「自由意志で続けること」である。

「始めること」「終わること」は時間的には一瞬の出来事だ。

自由意志が存在する時間も一瞬で良い。

 

しかしながら、「自由意志で続けること」は毎日、いや毎秒

自分の力と精神をすり減らしながら、自分と向き合うことである。

これは僕の課題であり、これからの目標である。

 

今は、自由意志で終わらせ、始めることが出来た段階だ。

30歳になる年である。自分の自由意志を続けさせることで、

一人の人間として、正しく生きていきたい。

 

そうすれば、彼女の言う「世界の終わり」にも少しは近づけるかもしれない。

 

 

 

新卒8年働いた会社を辞める時、僕が語ること。 ver1.0

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2013年程ぱっとしない年は思い浮かばない。

 

2020年幻の東京オリンピックの開催が決定され、

アベノミクスで1ドル103円となり、

第三回WBCではサインミスで内川がアウトになり

日本代表は準決勝で散った。

 

そんなぱっとしない2013年に新卒で某広告代理店に入社した。

マルクス的に言えば資本家の「所有物」になったとも言える。

 

 

 

この企業に入って僕が得たことは大きく分けて3つだ

  1.  社会人として一般的なスキル
  2.  他人からお金をもらうということ
  3.  自分の限界と潮時

 

1.社会人として一般的なスキル

  転職活動を始めて、このスキルを身に着けた点は

本当に感謝するしかないと思った。

基本的な営業スキルはもちろん、顧客への考え方、

顧客の目標はなにか。その目標に向かって何をするかを

学ぶことが出来た点は、面接にも活かすことができた。

 

2.他人からお金をもらうということ

 学生から労働者となった際に一番観点が変わるのが、

お金の矢印だ。

22年間は基本的にはお金を支払うことで

サービスを受け生活をしてきた。

 

しかしながら、労働者として生活していくには

需要に合わせて何かしらの価値を創造しお金を

支払っていくことでしか、生活を維持できない。

 

高度資本主義社会においては、細分化された社会において

価値を創造していくことが求められるが、

チャップリンが1936年に「モダン・タイムス」で描いた様な

一労働者としては既存の巨大なシステムを支える

多くの歯車の一つとして振る舞うことが必要である。

 

それが、自分にとっては求人広告という存在であった。

企業と求職者を結ぶメディアの歯車として自分は働いた

マーケットの目的として。

企業にとってはあるときは、シフトを埋める採用として

あるときは、企業を成長させる採用として。

求職者にとっては、生存するために、生活するために、

あるいは人生を変えるために。

 

歯車を動かして、企業と求職者をマッチングすることで

僕はお金を顧客から頂いた。と思いたい。

出なければ、意味のない8年間、レーゾンデートル無き時間と

なってしまうからだ。

 

3.自分の限界と潮時

プロ野球選手の9割は自分の引き際を自分で決められない。

戦力外通告ということで、契約を続けられないからだ。

しかしながら、我々サラリーマンは定年までは基本的会社にいることが

まだ可能な世界に生きている。(終身雇用制度の崩壊に関しては棚上げしておく)

 

どちらが、幸せかは人それぞれだと思うが、

私は後者の方が圧倒的に不幸だと思う。

 

戦力外宣告という制度は能力不足・チームとしてあっていないことが客観的に分かる。

 

しかしながら、サラリーマンは例え能力が不足してようが、会社に

合っていない事があっても、労働法上守られている存在である。

とすれば、自分が腐っていくことを感じながらも、

蝕まれ続けられながらも、自分から声を上げられない限り、

変えられないのである。

 

私が新卒企業で働きながら、自己成長をし他社からお金をもらうことで

会社にある程度は貢献できたと思う。

しかしながら、自分に段々と出来ている壊疽みたないものを結局

克服することが出来なかった。

それは、他者への承認欲求であり、ルサンチマンであり、

自己への自信の喪失であった。

 

今の企業で長く成長して働くという世界線へのターニングポイントは

すでに通り過ぎってしまっていたし、

何より目標として、信頼していた上司が会社から去った後に

残ったのは、心のない歯車であった。

その歯車を無理やり動かしていたが、ある時に断末魔を上げて

芯から折れてしまった。もう一度回ることはなかった。

 

会社を辞めることを上司に伝えた時に「事前に相談ができなかったのか?」との

問いかけがあった。

自分の中でその言葉を処理するのに少し時間が掛かった。

信用できなかった自分の弱さと、信用させられる事が出来なかった上司の傲慢さが

その微妙な空間の中に漂った。

 

最後に

6月末で会社を辞めることが決まった後、引き続きをしながら

余生を過ごしている。

自分の未熟さや無駄な承認欲求で多くの人に迷惑を掛けての退職ともいえる。

しかしながら、自分の選んだ道を正解にするのは自分の行動のみである。

これからも僕は高度資本主義の歯車として世界を回し続けていくのであろう。

今度はもう少しだけ、自分らしく。

 

 

 

 

【映画評】ラストレター/岩井俊二 失くしたものを取り戻すことはできないけど、 忘れてたものなら思い出せる

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村上春樹が「人の死」に対してこう述べている

「親しい方を(中略)亡くされると、自分という存在から何かが急激にもぎ取られてしまったような気がします。なかなかそれを受け入れることができません。気持ちの中に空洞ができてしまいます。(中略)もしあなたの中に空洞があるのなら、その空洞をできるだけそのままに保存しておくというのも、大事なことではないかと思います。無理にその空洞を埋める必要はないのではないかと。これからあなたがご自分の人生を生きて、いろんなことを体験し、素敵な音楽を聴いたり、優れた本を読んでいるうちに、その空洞は自然に、少しずつ違うかたちをとっていくことになるかと思います。人が生きていくというのはそういうことなのだろうと、僕は考えているのですが。」(『村上さんのところ新潮文庫P105)

 

この映画は様々な登場人物が空洞を埋めるために手紙を送りあう物語である。

 

あらすじに関して簡単に記す。

裕里(松たか子)の姉の未咲が、亡くなった。裕里は葬儀の場で、未咲の面影を残す娘の鮎美(広瀬すず)から、未咲宛ての同窓会の案内と、未咲が鮎美に残した手紙の存在を告げられる。未咲の死を知らせるために行った同窓会で、学校のヒロインだった姉と勘違いされてしまう裕里。そしてその場で、初恋の相手・鏡史郎(福山雅治)と再会することに。
勘違いから始まった、裕里と鏡史郎の不思議な文通。裕里は、未咲のふりをして、手紙を書き続ける。その内のひとつの手紙が鮎美に届いてしまったことで、鮎美は鏡史郎(回想・神木隆之介)と未咲(回想・広瀬すず)、そして裕里(回想・森七菜)の学生時代の淡い初恋の思い出を辿りだす。
ひょんなことから彼らを繋いだ手紙は、未咲の死の真相、そして過去と現在、心に蓋をしてきたそれぞれの初恋の想いを、時を超えて動かしていく―――

という。文字だけでみると過去を引きづっている話にもみえる。

しかしながら、そこを超越した再生の物語がスクリーンにはあった。

----------ここからネタバレ-------------

  1. 誤送から物語は始まる

フランスの哲学者ジャック・デリタはメッセージはそれを受け取ってもらいたい相手ではなく、間違った宛先に送られてこそ意味を持つという逆説的なことを言っている。

「間違った宛先」に送られた方が事件が起きやすいからであろう。

 

今作も亡くなった「美咲(広瀬すず)」への同窓会への招待状を妹の「裕里(松たか子・森七菜」が受け取り

同窓会から参加する所から物語が始まる。

そして、今作において正しい宛先に届いてる手紙は鏡史郎(福山雅治)に

送っている手紙と裕理の義理の母が恩師に送る手紙だけである。

言い換えると鏡史郎の送っている手紙は「誤配」されているのである。

しかもその相手は、「美咲」と血を分け合った女性である。

 

この誤配された状況を解きほぐし、正しい宛先に鏡史郎の手紙を

送ることが物語の根幹である。

 

1-2  22年間見つからなかった場所

小説『美咲』を書いた鏡史郎はその後、小説を書けずにいた。

彼の人生をほとんどを占めていた「美咲」が他の醜悪な男に

とられてしまっていたのだ(豊川悦司の役が、悪のメタファーで秀逸)

 

「美咲」失った彼にとってこの世界は恐ろしく何もなく、

のっぺりした、灰色の世界だっただろう。

救われない世界で彼は生きていた。

 

その渦中で同窓会で、美咲(裕里)を見つけた時の

嬉しさは計り知れなかったであろう。

そして、鏡史郎はそれが偽りの人物であることを見抜いてしまった。

似てるとはいえ、自分の名前がついた小説を忘れるはずない。

 

しかしながら、美咲と繋がる妹と出会ってしまい、

物語が動き出す。

 

2 名前をめぐる冒険

哲学者のヴィトゲンシュタインは「世界は言語である」と

言語論的展開を主張した。

言葉がものを有らしめるとも言い換えられる。

つまり、言語で認識できないものは存在しないのである。

 

前述した通り、鏡史郎は「美咲」を世に出した後には

これといった作品をかけておらず、世間一般には存在していないのと同義である。

 

悪のメタファーである美咲の元夫の阿藤との再会時「お前は美咲に何も影響を

与えていない」(しかしながら、俺は鮎美という娘もできて、自殺させた責任もあると言いたげである)と言われその存在を否定されてしまう。

 

しかしながら、阿藤の現在の同棲相手の女性から「美咲」へのサインを

求められる。 存在を否定された男の女からの「名前」を求めらる行為は

悲しげだが、この世界に存在を許されたとも感じる。

 

そして、奇しくも、取り壊し前の最後の思い出の母校を訪ねた時に

颯香と鮎美に出会うのだ。その光景は鏡史郎を一瞬で18歳に戻してしまった。

 

そして、二人が美咲を名乗って手紙を送っていたことを明かした事で、

手紙が正しい宛先に届いたのだ。

 

荼毘に付された美咲に線香を上げる鏡史郎を見ながら

颯香と鮎美が「美咲」にサインを求める。

ここで、固有名詞である「乙坂鏡史郎」の存在が彼の世界にも認められた。

 

最後に裕里の元を訪ねる。

鏡史郎の世界で欠けている部分の最後のピースである。

ここで裕里の本に名前を記すことで、鏡史郎の存在が世界に復活した。

 

つまり、今作は鏡史郎は美咲の影を追い求めながら、

自分の存在を取り戻していく物語である。

 

結局のところ、その存在を一番見せたい人物は他界している。

 

しかしながら、復活した鏡史郎はこれから「美咲」以上の作品を

鮮やかにまた描くであろう。

 

失くしていたものを取り戻し、止まっていた時計を動かし、

より美しい言葉でこの世界を語りだすであろう。

 

 

 

【書評】ナナメの夕暮れ/若林 正恭著:生きづらさの構造

 将来は書斎がある家に住んで、本に囲まれて過ごすと

 

「裏・将来の夢」を掲げていた僕からすると、

kindleを購入したのは過去の自分への裏切り行為だったかもしれない。

 

自分の本棚を見るだけ、お酒が飲めるくらい紙の本が

好きだったが、元来忘れっぽい僕が旅行や出勤なので

「絶対この本を読みたい」と固く決意したところで

忘れてしまうことが多々あった事と何より、kindleの方が本が安いということで

購入を決意してしまった。

 

kindleを購入してから生活は20度位は変わったかもしれない。

しかしながら、何気なく購入した「ナナメの夕暮れ」は

自分の生き方を少し押してくれる本だった。

 

人間だれしも「生きづらさ」というものがあると思うが、

自分の中のそのもやもやの原因の一端が見事に

「他人の正解に自分の言動や行動を置きに行くことを続けると、

自分の正解が段々わからなくなる」という言葉で表現されていた。

 

結局のところ「誰の幸福・快楽」のために生きているのだろうかと

考えさせらる。

 

特に若林氏が飲み会を嫌いな理由として挙げている

「誰の正解を言えば良いかわからない」に関しては共感するばかりだ。

 

とりもなおさず、生きていく上での幸福の主語が自分であると

人間思いたいのではあるが、価値観が多様化した現代

(昔なら大名、会社、国家が寄りどころ)

においては、正解が分からずに、誰かの正しそうな

身近な、アクセスしやすい人の意見を自分と重ねる方が楽なのかもしれない。

 

しかしながら、その生き方は袋小路になっている気がしてならない。

自分の抑圧された希望や意思はどこに行くのだろう。

 

改めて、自分の仕事に重ねてみると「他人の感情」に左右されている面が

多いと気づく

「こういったら、怒るだろうな」「今言うと、面子をつぶしちゃうな」etc..

 

しかしながら、思い返すと。一度も相手に本当にその言葉言ったら、

感情を害するかを確認していない自分がいる。

結局のところ、上記の思いは仮想の相手であって現実の相手ではない。

ここでハッと気づく、勝手に慮っていたのは自分だけであることを。

 

勝手に上手い生き方と自分に納得させていたが、

もっと現実世界で相手と戦った方が良いと思った。

若林氏が「自分の正直な意見は、使う当ての無いコンドームの様に財布にそっと忍ばせておけばいい。それは、いつかここぞという時に、行動を大胆にしてくれる。」と

言った様に。

 

作品中で斜に見ていたゴルフを始めた若林氏が思い切ってゴルフを

始めた話がある。

 

僕も先入観や人の感情を気にせずに自分の否定していたことを

やってみたいと思った。

 

まずは慣れないkindleで新しい世界を見てみたくなった。

 

 

 

雨だから

昨日の関東地方は8月の台風並みの風と梅雨らしい雨が降っていた。

 

僕は雨が好きだ。

 

雨の日は特別な気持ちを低気圧から運んできてくれる。

それは、匂いやセンチメンタルな感情と共に

「非日常感」を奏でてくれる。

 

昨日ラジオを聞いていたら「雨だから」ってすれば、

なんでも出来るような気がするとアナウンサーが言っていた。

 

「雨だから、ご褒美にケーキを食べる」

「雨だから、どこにも寄らず帰る」

「雨だから、1日どこにも出かけない」

「雨だから、部屋を片付ける」

「雨だから、世界が平和になる」

「雨だから、トランプ大統領も空爆をする」

「雨だから、資本論を読む」

「雨だから、言葉の限界に絶望する」

「雨だから、金星の友達に会いにいく」

「雨だから、気になるあの子にLINEする」

「雨だから、東京タワーに階段で登る」

「雨だから、前髪を切る」

「雨だから、形而上学的な橋本奈々未を創造する」

etc...

雨の日は自分をいつも以上に非現実な世界へ

連れてってくれる気がした。

 

高校の時に片追いして女の子と帰り道相合傘をしたように。